
【概略】下層階級のアメリカ青年・リプリーは、女遊びに明け暮れる金持ちの友人・フィリップを殺して彼になりすまし、富も恋人も手中に収めるが…。
サスペンス
.0★★★★☆
「太陽がいっぱい」というよりもアラン・ドロンの出世作ですから、むしろアラン・ドロンの魅力がいっぱいという感じです。はじける若さ、美貌、夏の似合うイタリア、ギラギラと輝く太陽、青い海、そしてそこに浮かぶ白いヨット。
アラン・ドロン演じる美貌の青年が、富豪の友人に成りすまし殺人という話は、「あーそうか、ジュード・ロウらの『リプリー』はこの作品と同じ原作だったんか」と今更ながら思ったりも。
昔は映画の楽曲は「その映画のテーマ音楽」として作られてたんですよね。このテーマ曲もドロンの魅力と相まって名曲となりました。上昇志向の貧しい青年の完全犯罪計画を描いた心理サスペンスで、地中海を漂うボート上の、モーリス・ロネ、アラン・ドロン及びマリー・ラフォレの緊迫した関係と、そこに哀愁漂うニーノ・ロータの音楽が加わると…観ている側のこの充足感たるや、という素晴らしい美術的作品でもある。
市場でのシーン。トムは煙草を吸いながらぶらつくだけなんだけど、とかく絵になる。
買い物客や歩行者の中にアラン・ドロンを混ぜて撮影して彼を追いかけていくかのような演出が面白い。
緊張する展開が何度かあって、観ていて全く飽きませんでした。この時代だからだなと思う物事も多いのですが(今だったらすぐ捕まりそうだし)60年近い昔の映画ですが、とても面白かったです。
イケメンという軽い物言いとは違う、二枚目(色男とか)という言葉がしっくり来る。そのためアラン・ドロンが二枚目すぎて、フィリップに劣等感を持っているような背景が少し見えにくかったのが残念ではあります。こんな二枚目で上昇志向なら簡単に富豪の娘でもたらし込んで万々歳出来るんじゃね?みたいな。逆玉の輿とかさ。
リプリーは言う。「太陽がいっぱいだ。今までで最高の気分だよ。」
欲望を満たすために殺人を犯した代償は限りなく大きい。しかしラストシーケンスで一瞬だけ彼にその欲望の先の夢を見せてあげるのである。鑑賞者はその一瞬とその想い、笑顔に浸り、彼に切なさを感じるのだ。
その切なさは、彼の演技と美貌にあるのかもしれない…美貌だが、どこかギラついた物欲しげな顔。そこにまた彼の魅力がある。もともとはドロンが富豪の友人役だったとか。しかしそれを変えて彼を主役に持ってきた事こそ、まさに本質を見抜いてのキャスティングだったのではないでしょうか。彼にしか出来ない、この映画は彼以外にない、そう思わされるエピソードでもある。
犯罪が発覚するスクリューに絡まった遺体の手から、海岸で杯を傾けるドロンの美しい手が重なる演出も良く出来てる。
今見たら「おい、そこ凡ミスw」とツッコみたくなる隠蔽工作ですが、えてして犯罪とはそういうものだったりするものですよね(笑)
またこのラストがなんとも言えず儚さを感じさせられ、富を「持つ者」と「持たざる者」の、残酷なまでに埋めがたい差が、やがて止めようのない殺意へと成長していく過程を、冷ややかに見つめたサスペンス秀作。「何が凄いんだろう?」と思われる方は今すぐ見るべし!
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