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切腹

2018/01/19  17:02
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【概略】
井伊家の屋敷に現れた素浪人・津雲半四郎は、庭先を借りての切腹を申し入れた。井伊家の家老はこれをたかりの類だと勘繰るが、半四郎の口から意外な事実が明らかにされる。
時代劇



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この臨場感・緊張感・迫力は素晴らしい。

井伊家の玄関を津雲半四郎と名乗る浪人が訪れる。切腹して果てたいので庭先を借りたいと言う。準備の間、家老は半四郎に語り始めた。「そういえば、この前も福島殿が家臣千々岩求女という者がやって来たことがあってな…宜しければなんならお話し申そうか、その時の経緯を」

当時、浪人侍が、切腹すると称して大名の玄関先にやってきては、金を得るというたかりの風潮があったんですね。庭先を汚されたくない大名家では小金を与えては追い払っていた。

そんな中、やって来たのがその若者だった。だが井伊家ではみせしめのため本当に切腹させることにした。彼は「一両日待ってくれれば、必ず戻ってきて切腹する」と懇願するが、許されなかった。そして彼のもっている刀は竹光のみ。竹光で切腹しろというのだった。周りで見ている武士は嘲笑っていた。竹光では切腹は出来ない。けれど若者は、竹光を腹に突き立て、舌を噛み切り、果てた。

この竹光切腹シーンの壮絶凄惨なことはいうまでもありませんが、果てる前も武士達は愚弄する。売り払ってしまった武士の魂としての刀をもたない竹光による切腹という武士としての誇りを傷つけた上で。

家老は話しながら何度も確かめる。半四郎は見事切腹しますと答えるが…。半四郎と家老の一対一の口述バトルです。だけれどそれが物凄い緊迫感を生んで、画面から目が離せないようになっています。一体半四郎は何をしにきたのか。本当に切腹するつもりなのか。

実は、先の家老の話の若者は、半四郎の娘婿だった。病の娘と、しかも生活が困窮を極めていた矢先に子供は病気だった。医者に見せる金もない。その時婿が言った…「心当たりがあります」それが生きている求女の最後の姿だった。戻ってきた時に初めて明かされる竹光による切腹、そして蔑んでいたはずのたかりの真実。井伊家の家臣たちは「竹光での切腹は見苦しい」といい蔑んで帰った。

後半に津雲半四郎が言う台詞「奈落の底に喘ぎうごめく浪人者の悲哀など、衣食に憂いのない人には所詮わからぬ。…所詮武士の面目などと申すものは、単にその表面だけを飾るもの!」…この台詞がいい。

半四郎が懐から取り出した三つの髷。「命までは取っていない」と三人との対決を語る半四郎。体面を保つために髷の伸びるのを待っているような腰抜けと、半四郎は井伊家の武士達を思いきり嘲笑します。

そして大立ち回りが始まるのですが、井伊家の「武士の面目」が単に上っ面なだけであると明かしてやるのです。ここで先の台詞が活きて来るのです。

別部屋で待つ家老の心中はどんなものだっただろうか。歪んだ表情からはしてしまった仕打ちに対する後悔の念が感じ取られるが、どうなのだろう。

武士の魂である刀ではなく鉄砲で撃たれ半四郎は死ぬ。だが、持ち出した建前上の武士の面目である先祖代々の鎧甲冑は当たり前だが元に戻される。不条理だが何もなかったことにされてしまうのだ。家老は言う。家人はみな病死、津雲半四郎は切腹と。

でもどうだろう、本当に何もなかったことになったのだろうか。家老の心中には半四郎に同調すべきところもあったのではないのだろうか?また半四郎も自分が最後まで武士の面目を守って刀を売らなかったことを悔いてはいなかったか。

竹光切腹での痛み、大事な者を亡くした痛み、面目を失う痛み。それより何より、人間として負うべき心の痛み。豊かなものと貧困のもの、また組織と個人など色々あれど、いつの世も流れは変わりはしないのだろう。井伊家の求女及び半四郎への処置は江戸中に賞賛される、というのもまた禍根が残るラストで素晴らしいです。現代に通じるところがあると思います。
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